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みんなの「資本主義」ブログ


五輪

2016/01/28 00:54
五輪で日本が忙しい。
隣国の失態を笑った因果か、我が国でも不手際が表面化してきているが、どちらにせよ、五輪は景気回復のドリンク剤として、期待されている。

すでにテレビ時代は過ぎて、五輪自体も「スポーツなんか見て何が楽しいんだ?」という若者の意見も散見される中、特需利権に預かれる御身分の方々は久々の景気の良い話に舞い上がっている。

トリクルダウンは無い!という政権与党のキーマンが堂々と公共の電波で、断言する中で、どれだけの景気回復効果があるのか筆者には不明であるものの、我が国に招致出来る実力があるだけでも景気の良い話と言えるかもしれない。

筆者は五輪と言えば、宮本武蔵の著作が思い浮かぶような無作法者ではあるが、
武蔵の五輪とは、元々仏教で言う、地水火風空の五大である。
世界を構成する5つのエレメントのことである。
世界も人間も猫も杓子も一切合切、この五大で成り立っていない物はない。
天地一切を包括する要素のことである。
が、まあそれは別にどうでもよい。

五輪は一体何なのか?
ググってみると、どうやら五大陸のことらしい。
五輪により平和がどうこうの趣旨らしい。
なぜスポーツ大会をやると、世界が良くなるのかさっぱりわからないが、
お互いの顔見せイベントが無いと、相互理解が深まらずに戦争が起きるからであろう(適当な意見)。
さて、趣旨はわかったが、なぜこんなものが作られたのか?
平和主義の意図は有るとは思うが、古代オリンピックを模した意味は何なのであろうか?
戦争のエネルギーをスポーツで発散させようという、3S政策といえば邪推だが、少なくとも、
戦争するよりはマシではある。
ただし、愚民化政策にならなければではあるが。
GHQの行った3S政策は、スポーツ、スクリーン、セックスである。
愚民を作り、お上に逆らえなくするのが目的である。
世界共通の一大イベントを開催しその報道を一手に握れば、
世界の目をそこに向けさせることが出来る。
即ち、大衆の意識を一つに集めることが出来る。
では、そこで何をするかである。
企業の広告などを打ってもだからどうしたという話である。
イマイチ、五輪の正体がつかめない。

五輪そのものは一般には何て言われているか?
我々大衆にとってはいつのまにか出来ていて、四年に一回やるスポーツイベントである。
そこに出る人間は各スポーツの日本を代表するエリートであり、
金メダルでも取ろうものなら人間国宝である。
現代日本において、出自を問わない一発逆転の出世物語でもある。
しかし、実際においてはスポーツで金メダルと取るには凄まじい才能か、
幼少の頃からの教育環境である。
もしくはその両方いる。
所詮は才能と家柄である。
努力だけで取れる物ではない。
そう考えると、五輪とは一部の選ばれたエリート・天才を称えるイベントなのではないか?
世界平和の美名の元にナチスばりの優生学の論理があるのではないか?

生まれつきのエリートは素晴らしい
生まれつきの凡人には手が届かない人間は素晴らしい
世界には優れた人間と劣った人間が居る

これが五輪の正体ではないだろうか?

まあ、実際は世界各国の相互協力による平和親善が五輪の真相なのだろうが、
このような考えも可能ではある。
要するに、五輪はナチス思想の祭典であると。
ナチスドイツとは五輪の発生は関係ないだろうが、どうせ当時の白人は人種差別の塊である。
可能性は無くは無い。

しかし、このような結論を得た所でどうなるものでもない。
元々、選ばれたエリートしか幸せになれない世界では大多数の敗者が出る。
敗北に意味を見出すのは宗教であり、アヘンである。

無理やり個人に応用するとしたら、所詮、ニッチ戦略くらいしか無い。
ナンバーワンにもオンリーワンにもなれない我々個人は、ニッチな分野で、
金メダルをとるしかないのである。
極論を言えば、世界で自分しか参加していない分野で金メダルをとるのである。
これを言ったもの勝ちという。

組織の中でもこれを使うとしたら、やはり他がやっていないアピール方法でしかない。
これはマーケティングの分野であろう。

我が国に応用するとどうだろうか?
やはり、他国にない我が国独自のものでアピールするしかない。
それは歴史のある文化的なものでなくてよい。
例えば、大会の後にゴミを回収すると言ったレベルでよいのだ。
無論、これは深い文化的背景に根源が認められるものかも知れないが。



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歯車は廻る

2013/12/20 00:00



「俺は社会の歯車だ・・・・・・」
と自虐的に嘆くサラリーマンは多い。
だが、ちょっと待って欲しい。
歯車とはどんな巨大なシステムの中のどんな小さな歯車でも、
一個でも欠ければ全体が止まってしまうという凄まじい価値のある代物なのだ。
失礼ながら、サラリーマン一人が消滅したところで社会どころか所属会社すら崩壊しないであろう。
サラリーマン如きが歯車様と同等に並んでいるかのような侮辱は歯車様に対して無礼極まりない。
謝れ!
歯車様に心からの謝罪と賠償を以下略。



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ヒモとは何か?

2013/08/11 23:49



ヒモはとにかく人間の屑であると嫌われる存在である。

しかし、
@なぜこのような存在が存在するのかということを考えてみる。
また、
Aそもそもなぜ嫌われているのか?という問題も考察してみよう。

@から言うとまあ単純に働きたくないからである。
エネルギッシュで外交的な人間には理解できないだろうが、世の中には一定以上の割合で働きたくない人間が存在する。
食物か薬物の影響か、環境ホルモンの影響か、日本弱体化作戦の一環かは不明だが、この神国日本にも相当数の人間が引きこもっている。

また、社会構造がそもそも社交的な人間でないと歓迎されないようになっている。
近代以前のように人付き合いなど不要で、畑を耕して入ればいいだけの生活や商売でも、
ルート営業しかないようなルーチン商売では、今の引きこもりでも可能であろう。
つまり、人類の歴史は近代以前までは非社交的な人間でも、生きていられたのである。
若者が結婚しなくなったとかの話もそうで、当時は自由恋愛などなかったのだから今の引きこもりでも結婚出来たのである。

話をヒモに戻すと、元々、社会不適応な人間というのはいつの時代にも一定数存在しているのである。
その中でも、才能?のある人間がヒモになれるのである。
ライオンもメスに働かせるというから生物の基本なのかもしれない。

では、Aの嫌われている理由について考察してみよう。
ぱっと思いつくのは、
オスとしての弱い生物への侮蔑、道徳的(今の日本における)な嫌悪感、
現状の社会システム(勤め人として納税)の意識からの憎悪。
などが揚げられる。

ある意味で不労所得での生活であり、男の理想?でもあるわけだ。
先ほどのライオンの例もあるが、ひょっとしたらオスとしての完成形の姿を見ての無意識的な嫉妬かもしれない。

近代に入り、プロテスタントの倫理(マックス・ヴェーバー)から労働価値の倫理が確立されて、今に至っている。
すなわち、ヒモ(と連結している不労所得)は倫理的に外れた行為と人間が認識している可能性が高い。
ヴェーバーはまるでプロテスタントが労働倫理を始めて作ったかのごとく主張しているが、極めて怪しい。
近代以前も奴隷制度・封建制度下においては、働かぬものは奴隷主の抑圧により処罰された。
当初は、罰は奴隷主の都合によるものであるが、ストックホルム症候群によりやがて、それが倫理となり、労働=善、不労=悪の観念があったのではあるまいか?
そもそもこの労働が善であるという観念は、奴隷制度以前の厳しい自然環境の中、生存するにあたり、部族内コミュニティでの共通意識にあったのではあるまいか?
生存という環境条件により、人間は、労働を強いられてきた。それがいつのまにか倫理的な縛りとなり、制度となり、やがて労働賛美へと至った。
不労所得は悪という概念になったのではないか?

だが、逆を言えば自然や社会という外部条件によって構築されただけに過ぎないのならば、それらの条件が存在しない場合、労働善は成り立たない。
供給が過剰になり、およそ労働の必要性がなくなった現代社会では、労働を善とする観念は不要である。

だが、労働という観念を人体生理学から見てみるとやはり運動という観念からの応援が得られる。
およそ人間が生物である以上、運動しないことは悪であるからだ。
現代社会になり便利になる一方で肉体労働から知的労働にシフトすると言えど、運動というカテゴリで労働は意味を持つ。
生物である人間は、不労所得=停止という観念に生物としての死を連想するのではあるまいか?
死せる存在は腐敗を連想し、自分の生命に対して挑戦を感じるのだろう。
死というのは人間にとってタブーである。
現代に至っても、宗教でもない限り死というのはマイナスイメージである。
死という絶対的な悪に対する根源的な恐怖こそがヒモへのマイナスイメージなのかもしれない。




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水と安全はタダか?

2013/07/25 01:02


水と安全はタダではない。

このテーゼは人類が昔から、繰り返しささやいてきたことであり、軍事から経済まで根が深いテーマである。
軍事力が必要という根拠になるため、
軍拡派は、
「平和ボケは自分たちの安全がタダで入ると勘違いしている」と言い、
一歩進めると、軍事の非人道的行為の言い訳ともなる。
経済に関しては等価交換の原則という言葉が一番ぴったりくる。

しかし、そもそも論としての思考実験として、今回は、このテーマを疑ってみよう。
逆に考えると「水と安全はタダである」となる。
はたしてこの命題は真であるか否か。
水(食料や金)は自然の物ではあるが、当然、自然界の生のままではない。
採取、運搬、加工、流通、販売の過程を経る。
すなわち、自分以外の人間の手による作業が必要となる。
自分だけの作業ならタダでもよいが他人の作業に対して、タダというわけにも行くまい。
当然、代価が必要となる。
よって、水はタダではない。

一応、上記の論理が成り立つが、
無論、作業に対して代金が不要という考えもある。
通貨という存在が不要という考えだ。
こちらは金という存在そのものの、存在意義となるので、別なテーマとなる。
つまり「タダ」という概念そのもののテーマであるので、今回のテーマの
より上位のテーマである。
ただし、水と安全はタダではない。代価がいるというテーマに関しては、
タダではない(少なくとも水は)。という結論が得られる。

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才能は結局のところ努力量ではないのか?

2013/07/10 23:39


およそ、才能というのは天からのギフトであり、一切の凡人の努力を蹴散らすものである。
いや、実際には天才は凡人よりも単に練習時間が遥かに長い。その結果である。
恐らく、文明が始まって以来の論争であり、資本主義の問題も加わり、再分配の問題もからむため、永遠に決着はつかないとは思うが、そもそも才能とは何だろうか?

生まれによるものというのを細かく分析してみると、親の資産環境や遺伝子などが上げられる。
遺伝子による恵まれた物理的医学的な才能というのは実際に存在していることから、軽率に看過することは出来ない。
問題はこの生まれによる才能が社会的な成功に直結していることから、富の格差が生じることである。
アメリカなどによる才能社会は才があれば社会的資産は天井知らずである。
個人の芽を潰す日本社会では上限があろう。
個人の才を伸ばし、報酬を払うアメリカ型社会は、一見正しいように見える。
ただし、才が無い人間が貧困に陥り、それが社会構成人口の大多数になれば話は別である。

やはり結論としては、才能という生まれによるものが存在すること自体は、許容する必要がある。
そしてその才能を潰さず伸ばす環境が得やすい社会というのは必要である。
だが、その才によって得られた資産に対する社会への再配分をきちんと実施する強制システムがあることが条件である。
一番難しいのはどこまでを才能と線引きをするかによる。
世界中で引き起こされている、「金融の才能」により格差貧困が実施されている現状は明らかに、社会全体の秩序にとってよろしくないのである。
個人的才能だけでなく、家による次世代以降の税制課税による身分固定の打破、才能を伸ばす環境をどこまで自由にするか?

アメリカ型新自由主義システムの悪影響が公に論議されるようになって久しい。
才能という個人のカテゴリに収まらないテーマとなる。
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田舎者はジャスコに行く

2013/06/22 00:10


田舎者はジャスコに行く。

こんな偏見が近年出始めている。要するに田舎には娯楽が無いため、休日など行く場所がジャスコなどの大型スーパーに行くしかないのである。
自分の実家などは意外とそのような感じだが、なにぶん、ネット社会に移行しているため、休日とは言え、家でPCの前にいるというパターンも多いとは思うが。

だが、結局のところ、ジャスコ問題の本当の原因は地元商店街へのダメージであろう。
日本中、シャッター街に溢れているが、この問題の一因はジャスコであるのは間違いない。
例え、シャッター街の自助努力の無さが原因であっても他に行くところがなければシャッター街に来るしかないからだ。

常に競争を強いられる資本主義社会では、大手の競合相手の出現により既存の商売は駆逐されていく。
だが、これが行き着くと結局、大手しか生き残れない社会になっていき、競争原理の資本主義が機能しなくなるのではないか?




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フランチャイズは悪か?

2013/06/18 22:20



フランチャイズ形式はなぜかフィクションで叩かれる存在である。
およそフィクションにおいて、ほめられているのを見たことが無い。
まあそれだけ、社会に流通しているからこそ叩かれると言える。

コンビニもファミレスも、世の中に過剰に存在して競争原理の中で淘汰されていく。
恐らく、ネズミ講と同じで、初期スタートに参加したものが利を得るシステムなのだろう。
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資本主義は宗教

2013/05/22 23:05
資本主義は民主主義と並んで今の地球上における支配思想なので、
いつも非難の的になる。

特に、その絶対性?から言われるのが、タイトルである。

左翼の人たちからの突っ込みはもちろん、通貨や信用という目に見えないものを媒介にしているために、宗教との関連を指摘される。
お金とは、まぼろしではないのか?
という言い方は世間でもよく聞かれるせりふである。

これを拡大すれば、家族や国や法律と言った文系のシステムは全部宗教である。

人は宗教無しには生きられない存在である。



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