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人間と世界と宇宙に関して、時間と空間とそれ以外を貫く法則を探求します
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古典を読む【孫子】A作戦篇_01

2011/01/18 21:40
【原文】

孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、
馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、
千里にして糧を饋るときは、
すなわち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、
日に千金を費して、しかるのちに十万の師挙がる。
その戦いを用なうや久しければすなわち兵を鈍らせ鋭を挫く。
城を攻むればすなわち力屈き、久しく師を暴さばすなわち国用足らず。
それ兵を鈍らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫くすときは、
すなわち諸侯その弊に乗じて起こる。
智者ありといえども、そのあとを善くすることあたわず。

【現代語訳】

孫子が言うには、およそ戦争においては、莫大な国家予算がかかる。
兵器や装備、さらには兵士の給料や食費など天文学的な金が必要となる。
戦争が長期化すればするほど、国庫は空となり、他の予算が逼迫し、
国民が飢え、兵士の志気も下がる。
しかも、その機に乗じて、国内で反乱が起きる。
こうなっては、いかに有能なスタッフがいても、もはやどうにもならない。

【解説】

戦時経済について述べられている項目である。
およそ、軍事と経済は国家の二つの車輪であり、金儲けと暴力がなければ国家は成り立たない。
国家において、思想だ信仰だの言っている評論家は全て三流と言ってもいいくらいだ。
(もしくは、わかっていて商売で書いているのかもしれないが。)
全ての国家活動はこの二つを軸に動いている。
逆に言えばこの二つを理解しないような国は亡国と言ってもよいだろう。
我等が故国日本を鑑みるに当たって、忸怩たる思いに過ぎるのは私だけではあるまい。

とにかく、戦争は金儲けのために行い、同時に戦争のために金儲けをするというのが、
古今東西の普遍の真理である。
孫子も言っているように、戦争というのは金喰い虫である。
兵士というのは、およそ生産性の無い人種であり、土木工事か殺戮か略奪しか能の無い連中というのが、
人類の歴史だった。
現代は、軍需産業が一大業種になったため、多くの人間の雇用を養えるようになったが、当時は戦争にかける
予算は赤字もいいところである。
侵略して勝利すれば敵国からの賠償金や領土割譲などで、まだペイするのだが、負けた場合などは目もあてられない。
しかも大抵、こういう時は、国家にとってツイてない時であり、戦争とセットで、飢饉や反乱などが頻発する。
野心のある人間や身分制度を覆そうとする人間にとっては絶好のチャンスでもあるのだが、真面目な国家指導者
にとっては胃が痛む以外の何物でもない。

この戦争と経済と言うのは、昔から多くの人間がテーマにしているため、この話題だけでも、山の様な分量になる
のだが、ここでは深く立ち入らずに、いくつかの歴史の例を挙げたい。

現在、2011年1月18日だが、朝鮮半島での緊迫した情勢が続いている。
朝鮮半島は古来よりも我が国と地政学上、縁が深く、日本との関連が深いため、当然、この戦争と経済という
テーマもいくつかの例がある。
誰しも思いつくのは、前回の朝鮮戦争での特需景気であるが、むしろ、それより以前の太閤秀吉の朝鮮征伐も、
このテーマのいいサンプルである。

当時、戦国を終えた日本にとって、頭を悩ませていたのが、侍、つまり先ほどの兵士という金喰い虫の雇用問題である。
何しろ、先祖代々、戦争しか脳のない人種である。
日本統一した後の、平和な時代にはとても暮らして生けない人種であることは言うまでも無い。
そこで豊臣政権が思いついた素敵な解決策。
大陸にこの厄介な連中を在庫処分することである。
失敗しても、いらない連中が処分出来、成功したら、そこに住まわせて自給自足させればいいだけのことである。
しかも日本の栄光が広がるばかりという、一石三鳥の戦略である。

このサンプルは、兵士の雇用経済問題を戦争で解決するという具体例であり、後の徳川政権における、各地の大名の兵力を弱めるための数々の策につながっている。
戦国の世から太平の世に移行するためには、ハードランディングからソフトランディングまでの数々の策が必要である。
大日本帝国が軍事体制からの撤退が容易ではなかったように、現代のアメリカも軍事経済からの脱却が難しいのを見れば、
おおよそ国家にとって、経済と軍事というのはまさしく、二輪の車輪であることが理解頂けると思う。



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古典を読む【孫子】@計篇_04

2011/01/14 23:22

【原文】
兵とは詭道なり。
ゆえに能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、
近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、
利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、
実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、
怒にしてこれを撓し、卑にしてこれを驕らせ、
佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す。
その無備を攻め、その不意に出ず。
これ兵家の勢、先には伝うべからざるなり。
それいまだ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。
いまだ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。
算多きは勝ち、算少なきは勝たず。
しかるをいわんや算なきにおいてをや。
われこれをもってこれを観るに、勝負見わる。

【現代語訳】
兵法とは、謀略である。
よって、徹底的に相手を欺く手段が弄される。
実力があっても隠し、用いる戦術を隠し、
距離を誤魔化し、居場所を悟られないようにする。
賄賂や利益で相手を釣り、混乱させて略奪し、
相手が充実していればこちらは守りを固めて、もし相手が強ければ逃げる。
挑発して疲れさせ、低姿勢にして相手を驕らせ、
相手がリラックスしてればこれを疲弊させる。離間工作で相手を孤立させる(もしくは仲良くなったと見せかけて

油断させる)。
とにかく、相手の無防備を攻めて不意打ちする。
これが兵家の攻撃であり、決して悟られてはならない。
戦争は、開始前に徹底して作戦を練る者が勝ち、作戦を練るのが少ない者は負ける。
ましてや無計画では言うまでもない。

【解説】
孫子が兵書である、その本質が出てくる箇所である。
「兵とは欺道なり」
この有名な文句は、「戦う前に勝つ」と言う孫子の実践レベルでの段階を一言で言ったものである。
我々はすでに、戦争前の段階で、彼我の実力分析を通して、戦争を始めるか否かの段階を経てきた。
そこでの結果が、決戦決定になるか、延期になるかはともかく、兵法の次の段階に進むのである。
すなわち、作戦の段階である。
ちなみに、決戦延期の場合でも同じことである。なぜなら、戦争というのは結局の所、我々が考えている
戦場でドンパチやる派手な戦争状態というのは、戦争の一部分に過ぎないからである。
戦争で殺しあうのは一瞬だが、その以前の状態および戦後には長い間の準備期間がある。
兵力を整え、食糧を備蓄し等、ロジスティックを構築し、国内をまとめ、外交を整える。
これが戦争の大部分の実相である。
当然、この準備期間にもすでに兵法の相手国との勝負は始まっている。
工作員を放ち、情報を入手して、賄賂をばらまき敵国を混乱させて、外交網をズタズタにする。
今回の項目は、単純に戦場でのやりとりだけではなく、こうした段階にこそ応用すべきものなのである。

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古典を読む【孫子】@計篇_03

2011/01/12 21:15
【原文】
ゆえにこれを校ぶるに計をもってして、その情を索む。
曰く、主いずれか有道なる、将いずれか有能なる、天地いずれか得たる、法令いずれか行なわる、
兵衆いずれか強き、士卒いずれか練いたる、賞罰いずれか明らかなると。
われこれをもって勝負を知る。
将わが計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ、これを留めん。
将わが計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る、これを去らん。
計利としてもって聴かるれば、すなわちこれが勢をなして、もってその外を佐く。
勢とは利によりて権を制するなり。

【現代語訳】
よって、彼我の実力を考察するに、以下の7計でその実態を探る。
トップはどちらが有能か?
将軍はどちらが有能か?
天候と地形はどっちに有利か?
法律はどちらがしっかりしているか?
兵力や下士官はどちらが有能か?
賞罰はどちらが明瞭か?
私(孫子)はこれらによって勝負の結果を(戦争前)に知ることが出来る。
将軍は私の策を用いることで必ず勝ち、逆に私の策を用いない時は必ず負ける。
戦争のような一見、博打のような先の見えない物も、こうやってしっかりと実力分析をして、ファンダメンタルを
考察すれば、自ずと結果を知ることが出来る。

【解説】
動物は別の動物と遭遇した時、一瞬にして彼我の実力差を知ると言う。
そうでなければ生き残れないからだ。
人間は動物から進化して人になったが、知性を手に入れる代わりに野性の勘は退化したようである。
個人でも組織でも国家でも同様だが、勝てない相手に喧嘩をふっかけて負けるのは、まさしく自業自得である。
前回も考察したように例外パターンもあるが基本は、勝てない喧嘩はしてはならない。
(ただし、基本があるということは応用があるわけで、裏家業の人間はわざと喧嘩をふっかけて殴られて慰謝料を
請求する例もある。
「負けて得とれ」は高等戦略の一つであるからしつこいようであるが読者諸賢は肝に銘ずるように)
孫子は分析条件として人間や天候や地形、法制度などを上げているが、当然、これは応用するにあたっては、現代人の環境に合わせてほしい。
が、古代も現代も、「人」に焦点を合わせるのは基本から応用まで一貫した重要事項である。
昔は、天の時、地の利、人の和の三才と言ったものだが、実は一番大事なのは人である。
人間は宇宙から見ればゴミのような存在である。が、そのゴミは光り輝く至高のゴミでもある。

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古典を読む【孫子】@計篇_02

2011/01/10 15:39
@計篇_02
【原文】

一に曰く道
二に曰く天
三に曰く地
四に曰く将
五に曰く法なり。
道とは、民をして上と意を同じくし、これと死すべくこれと生くべくして、危きを畏れざるなり。
天とは、陰陽・寒暑・時制なり。
地とは遠近・険易・広狭・死生なり。
将とは、智・信・仁・勇・厳なり。
法とは、曲制・官道・主用なり。
およそこの五者は、将は聞かざることなきも、これを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。

【現代語訳】
5つの大枠とは、@道理、A天候、B地形、C将軍、D法律の5つである。
@およそ戦争には大義名分のプロパガンダが重要である。国民全体にわたって自軍の正義や敵国の不正義が浸透してこそ、戦争に勝つことが出来る。
A天候は、朝昼夕夜、春夏秋冬、台風や雨や霧などのあらゆる天候のコンディションである。
B地形は、遠近から、進軍困難な地形、楽な地形、拾いか狭いか、危ない地形かどうかである。
C将軍は、有能さ、信用度、慈愛さ、勇敢さ、厳格さなどのスペックがある
D法制度は、刑法、行政法、民法商法などがしっかりしているか
戦争の際にはこの5つの状況をしっかりと判断しよく把握している者が勝利します。


【解説】
前回の戦争にあたっての調査事項の内容が述べられている。
孫子は有名な「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」の言葉が有名だが、その実践的部分である。
次の7計で相手と比較するのである。
当然、この分析で相手より劣っていたら、この戦争は危ないと見る。
負ける戦をするのは愚か者の行動である。
この分析をするのに必要な機関は、まず情報機関であり、その集めた情報を分析するインテリジェンス機関、
何よりその分析結果を判断する指導者もしくはスタッフの優秀さにかかっている。
負ける戦になりそうだったら、相手の靴を舐めてでも、生き延びる必要があり、逆に勝てそうだったら情け容赦なく蹂躙する。
それがこの弱肉強食の世界においての生きる術であり、生存者の資格でもある。

と、言うのが通常の解説であるが、実はここにおいても孫子の裏読みをするべきところである。
分析結果において、戦争をやめるか否かというのは実は一概には言えないのである。
戦争というのは国家の公的な事業であり、戦争も含めた総合判断は、軍事管轄を超えた領域である。
なぜならおよそ国家においては、例え負けるとわかっていても戦争を始めるケースがあり、その判断は指導者の責任である。
読者諸氏においても、リスクが高く、勝算が薄いとわかっている勝負に打って出なくてはならない時があろう。
人生において、勝負しなければならない時には勝負しなければいけない。
あらゆる英雄や成功者は、その卓越した人生において、少なからずその修羅場をくぐってきている。
凡人は、リスクの高い勝負に出ることが出来ずにいるから、失敗もしない代わりに成功もしない。
兵法を学んでも成功しない人間は策に溺れ自らのリスクを避け、勝負しない人間となることが多い。
特に、古来より孫子を読む者は、「闘わずに勝つ」ことにこだわり、結果として人生の敗残者になるケースが多い。

無論、リスクが高いということは失敗する可能性が高いということであり、その被害は特に国家においては取り返しがつかない。
が、この「負ける戦をする」というのは、歴史を見る限り以外と多く、道徳を度外視すれば意外と国家戦略としては有効である。
「損して得を取れ」というのは老子の発想だが、この「負けるが勝ち」というのも戦略においては決して読者諸氏が忘れてはならない概念である。
大国でもそうだが、特に小国にとっては、負ける戦争をするというのが実は一発逆転の勝利を生む一打となる事例がまま見受けられる。
大戦でわが国はアメリカに挑んで敗退した。しかしその後の歴史では連合国は軒並み没落。負け側であった日本とドイツは奇跡の復興をとげ、米ソに至っては世界の覇権管理のため財政赤字で疲労困憊するはめになった。
アジアでの面倒ごとを全てアメリカに押し付け、GHQの外圧を利用して、本来なら到底不可能な国内の改革を一気に断行して戦前の軍事赤字システムを消滅させた。
これは単純な従来どおりの兵法を越えたレベルの戦略であり、孫子を含む兵法の範疇ではない。
「負けるが勝ち」
この逆転した発想は、およそ世間の常識とは異なるため理解されることは難しいが、読者諸氏にはこのような大戦略があることをよく銘記していただきたい。
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古典を読む【孫子】@計篇_01

2011/01/09 10:49
古典と言うのは、人類が長年に渡って精査してきた物であり、残るというのはそれなりの価値があるものである。
ここでは、古典を読みながら、解説、現代への応用などを試みたい。

古典というのは汗牛充棟であり、その中から、まずは孫子を上げてみたい。

孫子は言うまでもなく、古代中国の兵書であり、特に知識のない日本人でも「孫子の兵法」「風林火山」と言えば、誰でも知っている。
「孫子の前に兵書なく、孫子の前に兵書なし」
とまで言われた孫子兵法は、正に戦略・戦術の業界?では正に帝王の座を占めている。
わが国の指導者は言うまでも無く、海外でも高い地位を占め、かのナポレオンですら、愛読していた。
ここでは、孫子を読むことにより、日本人が不足がちと言われている戦略について少しでも読者諸氏の役に立つことを願うのみである。
なお、当然のことながら、ここで言う戦略とは軍事のみならず、経済を含めた国家戦略、利益を上げることを目的とした企業戦略、果ては個人レベルでの人生戦略まで幅広い応用を考えて頂きたい。


孫子はコンテンツとして、13篇あり、一遍ずつ戦争に関してのジャンル分類となっている。
初めは、計篇で、戦争開始前の段階である。
戦争を始めるか否かという、言わば政治レベルの段階と言える。
現代ではシビリアンコントロールが利いており、戦争するか否か、どこの国と外交をするかという国家戦略の問題は当然、軍人には決定権はない。
ただし、その決定に関しての情報収集や分析は軍が実行することもあるのは言うまでもない。
古代の中国に置いても、この重要な決定は政治の分野ですが群雄割拠の戦国時代にはこの区分けは、微妙なところであり、現場の判断で開始することも多々存在した。
さて、その原文であるが

計篇

孫子曰く、兵とは国の大事なり、
死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。
ゆえにこれを経るに五事をもってし、これを校ぶるに計をもってして、その情を索む。

現代語訳

孫子が言うには、軍事とは国家の一大事である。
これによって、国家存亡と繁栄がかかっているのだから、詳しく分析しないことがありえようか?
その分析方法には、5つの大枠があり、さらに7つのさらに詳しい分析方法がある。


孫子の兵法とはつきつめて言えば、
「戦う前に勝つ」
ことは主眼とする兵法である。
戦争する前の段階のレベルで戦って勝てそうも無ければ当然、戦争以外の方法で事を収める必要がある。
これはわが国における先の大戦を想起してもらえれば理解は容易であろう。
戦後、60年が過ぎようとしている中、わが国において、未だに戦争の後遺症が残っていることを考えれば、いかに戦争の実行非実行の判断が肝要かはよくよく考える必要がある。

ただ、ここで、多くの日本人が勘違いしやすいのだが、ここには、
「戦争は絶対にダメ」
という平和主義では無いという事だ。孫子においては、兵法とは、負ける戦はするなということであり、勝てる戦はするのが常識であるということである。
さらに言えば、孫子は結局の所、将(将軍、武官)の書である。国家戦略や謀略、外交においても、読書人の知能において応用は当然可能であるが、それを専門にした書ではない。
このブログにおいても応用となるべきような考察をしていく予定だが、孫子が全てではないことをよく銘記して頂きたいと思う。

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ブログ開始

2011/01/08 23:39
世の中の仕組みのこと、人間という生物のことなどをつれづれなるままに書いていこうと思います。
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