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みんなの「文明論」ブログ


ゼロの効用

2016/03/09 23:59
画像


ゼロはインド人の発明した叡智の中でも屈指の存在である。
およそ、他の文化圏が、有を追求していった中で、無であるゼロという逆方向へと進み、有と無で、洋の東西の存在意義の分割を成し遂げた。

およそ、文明とはこのような発明であるべきである。
日本には文化はあるが、文明はない。
この言葉から脱却するのはいつの日なのだろうか?
我々もゼロを発見したインド人のように、文明というものを創造し得ることが可能なのであろうか?
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ローマ人も大好きだった!うなぎの蒲焼き

2014/04/07 23:51


うなぎの蒲焼きは日本人の甘ったるい照り焼き味の最高峰に位置する代物である。
うなぎの養殖技術が確立していない以上、高い金を出してうなぎの蒲焼きを購入するしか無いのが実情である。

そのうなぎだが、当然、人間の考えることはいつの時代も同じなので日本人と同じように食べる連中も存在する。
上記画像のように、ローマ時代から食べられていた伝統的な調理法である。
そして、この事例は人間の営みが太古から変わらないことを意味する。

天地自然は春夏秋冬の4つのサイクルに支配されている。
全ての生命や存在は、生まれ、育ち、衰え、滅びる。
一切の存在はこの理法から逃れることは出来ない。
故に、絶対的な支配原理であり、真の世界の支配者である。

この支配から抜け出したものは解脱した者と言われる。
全てのサイクルからなどではなく、あるカテゴリのみ脱出したものでも、世間からは一目置かれることになる。
例えば、収入のラットレースから抜け出た者はすでに一般人ではない。
不労所得で生活出来るようなシステムを作ったものは収入のカテゴリに関しては解脱したと言えよう。

ではどのようにループを抜け出るのか?
それはループを自覚することである。
釈迦は、因果の理法により、無明と執着から苦しみが発生しているループを見た。
鮭が永遠に海から川に登るループを繰り返すように、人間は行動様式が複雑になったのみ差異があるだけである。
親の世代も子供の世代もやっていることは変わりがない。
同じような悩みや同じような喜びをして同じように生まれて同じように死ぬ。
それが六道輪廻のループである。





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なぜ神は世界を救わないのか?

2014/03/26 01:26


いい加減、一神教世界では語りつくされたテーマだとは思うが、ちょっと考慮してみよう。
世界を創り給える大いなる神がいるとしよう。
ならばなぜ世界をほったらかしにしているのか?
旧約を見ると頻繁に干渉している神だが新約になるとすねかじり息子のイエス以降はなしのつぶてである。
そもそも聖書を普通に読むかぎりではとても世界の人民が飢えようが虐殺されようが一ミリたりとも同情するような慈悲深い神でもなさそうだが、別に聖書の神に限らずとも天地創造の神がいるならなぜ世界を救わないのか?

ここは、神義論の問題として、延々と話のタネになっていた問題である。
曰く、神は人間に自由を与えた。
曰く、今の神は邪悪の神であり本来の神は別のところにいる(封印されている)
などである。
後者のグノーシス系の思想は近代に日本に入ってきて神道系のカルトに伝わった。
大本教などがわかりやすいであろう。

そもそも論だが、なぜこんな天地創造の神などを人類は考え出したのか?
世界が狭くなって帝国が出来、世界地図が完成し地球という存在が認識してきたころであろう。
世界が無限だったら天地創造の神などは生まれない。
世界が有限だからこそ創造者を考慮する精神的余裕が生まれたと言えよう。
人間が有限の世界、すなわち自然を切り開いて克服し、支配するという文明の進化が、自分自身の姿を投影して世界そのものを支配している神を創造した。
古代中国では天であろう。
それは完全で完璧で永遠で唯一の非被造物である。
ついでに善で美で真である。

そしてこれこそがなぜ神が人類を救わないかの答えである。
所詮、天地創造の神は人間の自分の姿の投影である。
自分たちが自然を操作しているからこそ、神という存在が自分たちを操作していると推測している。
ただの自分のフィルターを通して神という存在を定義しているだけである。
神は別にそんな存在ではないだけのことである。
そもそも人間ですら、自然に対して自分勝手にしているのに、自分たちより上位の存在が人間に対して慈悲を持って扱うわけが無い。
人間がカビやバイキンを駆除するのと同じである。
上位の存在が慈悲に溢れていると考えるのは理にあっていない。
万物の霊長たる人類は、動物と何が違うのか?
植物の方が悪事をしないだけマシではないか?
こういうと、悪の世界の中でする善が光り輝く価値が在るとか言い出す輩が多いが、逆を言えば、そんな希少なパーセンテージの価値しかない人類はいばれる存在でもなかろう。

さらにこうは考えられないか?
人間が神を作り出したなら、自然こそが人類を作ったのだと。
何らかの自然にとっての意図があり人類は作り出された。
人類は、地球環境における何らかの存在価値を期待された。
無論、神と同じく出来損ないの創造物なため、神における被害と同様に人間による被害がある。
自然が
「じゃあもっといい存在を作ろうか。古いバージョンは廃棄な」
とする時が人類の終わりであろう。
人類としては、願わくばその時まで100万年くらいの試用期間をモラトリアムを頂きたい。



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ヒモとは何か?

2013/08/11 23:49



ヒモはとにかく人間の屑であると嫌われる存在である。

しかし、
@なぜこのような存在が存在するのかということを考えてみる。
また、
Aそもそもなぜ嫌われているのか?という問題も考察してみよう。

@から言うとまあ単純に働きたくないからである。
エネルギッシュで外交的な人間には理解できないだろうが、世の中には一定以上の割合で働きたくない人間が存在する。
食物か薬物の影響か、環境ホルモンの影響か、日本弱体化作戦の一環かは不明だが、この神国日本にも相当数の人間が引きこもっている。

また、社会構造がそもそも社交的な人間でないと歓迎されないようになっている。
近代以前のように人付き合いなど不要で、畑を耕して入ればいいだけの生活や商売でも、
ルート営業しかないようなルーチン商売では、今の引きこもりでも可能であろう。
つまり、人類の歴史は近代以前までは非社交的な人間でも、生きていられたのである。
若者が結婚しなくなったとかの話もそうで、当時は自由恋愛などなかったのだから今の引きこもりでも結婚出来たのである。

話をヒモに戻すと、元々、社会不適応な人間というのはいつの時代にも一定数存在しているのである。
その中でも、才能?のある人間がヒモになれるのである。
ライオンもメスに働かせるというから生物の基本なのかもしれない。

では、Aの嫌われている理由について考察してみよう。
ぱっと思いつくのは、
オスとしての弱い生物への侮蔑、道徳的(今の日本における)な嫌悪感、
現状の社会システム(勤め人として納税)の意識からの憎悪。
などが揚げられる。

ある意味で不労所得での生活であり、男の理想?でもあるわけだ。
先ほどのライオンの例もあるが、ひょっとしたらオスとしての完成形の姿を見ての無意識的な嫉妬かもしれない。

近代に入り、プロテスタントの倫理(マックス・ヴェーバー)から労働価値の倫理が確立されて、今に至っている。
すなわち、ヒモ(と連結している不労所得)は倫理的に外れた行為と人間が認識している可能性が高い。
ヴェーバーはまるでプロテスタントが労働倫理を始めて作ったかのごとく主張しているが、極めて怪しい。
近代以前も奴隷制度・封建制度下においては、働かぬものは奴隷主の抑圧により処罰された。
当初は、罰は奴隷主の都合によるものであるが、ストックホルム症候群によりやがて、それが倫理となり、労働=善、不労=悪の観念があったのではあるまいか?
そもそもこの労働が善であるという観念は、奴隷制度以前の厳しい自然環境の中、生存するにあたり、部族内コミュニティでの共通意識にあったのではあるまいか?
生存という環境条件により、人間は、労働を強いられてきた。それがいつのまにか倫理的な縛りとなり、制度となり、やがて労働賛美へと至った。
不労所得は悪という概念になったのではないか?

だが、逆を言えば自然や社会という外部条件によって構築されただけに過ぎないのならば、それらの条件が存在しない場合、労働善は成り立たない。
供給が過剰になり、およそ労働の必要性がなくなった現代社会では、労働を善とする観念は不要である。

だが、労働という観念を人体生理学から見てみるとやはり運動という観念からの応援が得られる。
およそ人間が生物である以上、運動しないことは悪であるからだ。
現代社会になり便利になる一方で肉体労働から知的労働にシフトすると言えど、運動というカテゴリで労働は意味を持つ。
生物である人間は、不労所得=停止という観念に生物としての死を連想するのではあるまいか?
死せる存在は腐敗を連想し、自分の生命に対して挑戦を感じるのだろう。
死というのは人間にとってタブーである。
現代に至っても、宗教でもない限り死というのはマイナスイメージである。
死という絶対的な悪に対する根源的な恐怖こそがヒモへのマイナスイメージなのかもしれない。




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死の商人は儲かるのか?

2013/08/06 02:13


死の商人というのは世間体が悪い商売である。
平和主義者からは蛇蝎の如く嫌われ、陰謀論者や売国奴からは、戦争企画者のレッテルを貼られる。
戦争をマッチポンプで起こしていると言われている反面、実際は冷戦以降はそれほど儲からないとまで言われている。
国策企業のため、競争が働かず、非合理な予算の垂れ流し、天下りの腐敗の温床とも言われる。
また、表に出ない科学レベルの宝の山と言われ、未公開のテクノロジーが山ほどあるという。

およそ日本という去勢された植民地国家にとってはなじみがない分野であるが、軍事というのは国家の両輪であるため、その兵器の供給というのは重要項目である。
安定した供給と質。そして国家予算がつぎ込まれる。
無論、この国家予算というのは税金のため、戦争になれば税が上がり、国家は貧する。
孫子にも戦争を長引かせれば、国家は死ぬと描かれているくらいである。

そもそもの軍需産業の発生とはなんであろうか?
軍需や兵器と言った物々しい用語ではなく、武器という原始的な用語が始まりであろう。
太古の昔、人間の兵器レベルが武器レベルだったころは、基本は石である。
黒曜石などのナイフや火は多少文明化したレベルで、棒や槍と言ったレベルでもある。

青銅器や鉄器になるともう専門的職人が必要となり、それは権力との結びつきが始まる。
敵国に抑えられるわけにはいかないから管理も厳重となり、職人の自由も制限される。
どうも差別問題にもつながっているようである。
特殊技術を持つ人間は常人と違う扱いを受けるため差別へとつながりやすい。

まあそれはともかく、やがて兵器レベルから万単位の軍事構成へと変化していくに従って、生産規模も拡大していく。
やがては村レベルの生産拠点から巨大工場となり、企業へと発展していく。
戦時を利用して国家からの資本を投入され拡大していく。
現状の財閥はこれを利用して軍需産業から他産業へと生産物をシフト拡大していって大きくなった経緯がある。
こうなるともはや当初の被差別職人から貴族へとランクアップである。
ただ、死の商人であるところの家系的な業があるのではないかと思うが、寡聞にして表には出ない。
まああっても出ないであろうが。
どちらにしろ、ここまでくると、軍需企業は国家そのものとなってくる。
鉄は国家なりとの名言のとおり、国家と企業が一致した存在である。
構成員は百万単位の労働者を抱えもはや国家そのもでもある。

上記のような軍需産業であるが、当然、軍需がなくなれば消滅する。
戦争がなければ、軍需産業は廃業してしまう。
よく、医療のジョークとして虫歯やガンの特効薬はとっくに出来ているが業界を守るために公開されないだけというのと同じである。
では、軍需産業が無くなる日というのは来るのであろうか?
それは戦争が無くなる日と同義である。
極限まで技術が達すれば、核戦争が出来なくなるのと同じで、もはや戦争は起こらない。
つまり、冷戦という軍事の衝突の時代から、ITの時代、金融の時代へと争いそのものはなくならなくても、舞台が変わることによって軍事は消滅するのだろうか?

可能性としては宇宙人でも居ない限りはYesである。
戦争がなくなれば、次に待っているのは内輪の戦争である。
だが、それも兵器というようなレベルではなく、ITレベルの兵器である。
兵器といってももはやそれは兵器とは言えないであろう。
ヘーゲルは弁証法により無限に正反合の止揚を人類は繰り返していくと述べているが、地球という閉ざされた環境内では、軍需は終わコンである。
あるとすれば、人類が再び文明がリセットされて文明が退化する時であろう。
イメージとしては北斗の拳の世紀末荒野を思い出して頂きたい。
ところどころに文明の名残があり、近代兵器もあるが、原始的な兵器の争いが主で、生産設備が残っていれば再び軍需の利用はあるであろう。
人間という種がある以上、争いはあり、軍需は存在するということだ。

ただし、江戸時代という高度に完成された管理社会の例もあることに留意する必要がある。
周知の通り、世界最大だった鉄砲数が江戸時代で激減させた例がある。
すなわち、軍需産業の終焉という例である。
もちろん、江戸時代は黒船と共に終わりを告げたわけだが、仮に世界レベルで江戸時代があり、外からの黒船(宇宙人等)がなければ永遠に軍需産業の復活はなかったまま永久平和を実施していたのだろうか?
物事に生老病死の季節のサイクルが存在するという公理を当てはめれば永遠の幕府システムというのは考えにくいが、少なくとも統一した管理社会が存在すれば軍需産業は停止するという例でもある。

世界レベルの拡大に応用すれば、世界統一政府が完成すればそのシステムが寿命を終えるまでは軍需は不要となる可能性がある。
無論、統治システムのための軍需は最低限必要であろうが、内乱レベルの反乱軍鎮圧でもなければ群衆管理の軍需などたかが知れている。
外からの黒船来訪(宇宙人)か、文明クラッシュ、システムの寿命が来るまでは江戸時代のような軍需退行の時代というのは理論的には可能である。
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